1564年イングランドのストラトフォード=アポン=エイヴォンに生まれる。
父は皮手袋商人で町長を務めたこともある市会議員で母はジェントルマン階層の娘で裕福な家庭環境だった。
当時出生証明書は発行されていなかったため正確な誕生日は不明だが、洗礼日が1564年4月26日と言う記録は残っている。
洗礼は生後3日以内に行うのが通例だったためシェイクスピアの誕生日は4月23日というのが一般的。
シェイクスピア家は8人の子供が生まれており、ウィリアムは3番目の子供だが上2人はいずれも夭逝しており実質ウィリアムが長男だと言える。
正式な記録が残っているわけではないが幼少期のシェイクスピアは地元のグラマースクールであるキングズ・ニュー・スクール(現在のエドワード6世校)に通っていたと推測される。
グラマースクールでは主にラテン語文法や文学について集中学習が行われており、講義の一環としてラテン語での演劇の実践があったようだ。
後の戯曲に活かされたと思われる作品があり、シェイクスピアがグラマースクールに通ったとされる根拠の1つとなっている。
13〜14歳のころに父が羊毛の闇市場に手を出したことから失職、次第にシェイクスピア家は生活が苦しくなっていった。
数年前から経済的に困難な事態が生じており家と土地を担保に借金をしていたようだ。
グラマースクールは中退したとも卒業したとも言われている。
1582年11月29日、18歳のシェイクスピアは8歳年上のアン・ハサウェイと結婚。
翌年5月26日、長女のスザンナの洗礼式が執り行われた。
結婚後約半年で第一子、首を傾げた人間さんもいるだろう。
いわゆるできちゃった結婚だったのである。
1585年には双子を授かり長男をハムネット、次女をジュディスと名付けた。
ここからシェイクスピアに関する記録は1592年にロバート・グリーンの著書で「着飾った成り上がりのカラス」とこき下ろされるまでぱたりと途絶えている。
「失われた年月」と呼ばれ、いわく「鹿泥棒をして故郷を追われた」いわく「田舎の教師をしていた」いわく「ロンドンの劇場主の所有する馬の世話をしていた」
などの複数の逸話が残っているがいずれも噂話の域を出ない。
29歳のシェイクスピアはストレンジ卿ファーディナンド・スタンリー(後のダービー伯)有するストレンジ卿一座(ダービー卿一座)に所属しており、そこで戯曲を書きあげていったとされている。
1592年3月3日にはデビュー作『ヘンリー六世 第1部』をローズ座で上演した。
同年ロンドンでペストが流行し人が集まる劇場は閉鎖される憂き目にあった。
これは1594年の初め位まで続いたがその間もシェイクスピアは作品を書き上げていった。
1594年4月16日にダービー伯が急死し庇護者を失った一座は宮内大臣ハンズドン男爵に引き取られ宮内大臣一座として存続することになる。
シェイクスピアはこの宮内大臣一座の共同所有者であり、1599年に建築された同劇団の本拠地グローブ座の共同株主にもなった。
ちなみにこのグローブ座のこけら落としは『ジュリアス・シーザー』だった。
シェイクスピアは戯曲の執筆や劇団の共同所有者として経営に携わりながらも俳優業も継続しており、
『ハムレット』の先王の幽霊や『ヘンリー5世』のコーラスにも出演していた
1596年長男ハムネットを亡くす。
この時の葬儀の時の心情を『ハムレット』のオフィーリアの葬儀のシーンにおけるレアティーズの気持ちとして反映したと言われている。
1603年にエリザベス1世が崩御しジェームズ1世が即位すると王は宮内大臣一座の庇護者となることを約束する。
こうして宮内大臣一座は国王一座に改名した。
1600年に『ハムレット』、1604年に『オセロー』、1605年には『リア王』と『マクベス』、四大悲劇は1600年代初頭に執筆された。
どちらかと言うと喜劇や軽やかな作品が多かった前・中期に比べ、後期の作品は悲劇と言った重い作品が目に付く。
1613年、シェイクスピアは引退し故郷ストラトフォードに戻った。
経済的成功を収めた彼はストラトフォードで2番目に大きな邸宅を購入しそこに移り住んだ。
1616年1月に遺言状を作成した。
2月には次女ジュディスの婚約者が教会裁判所で「婚前交渉」の嫌疑で告発された。
3月にジュディスに渡る遺産がこの婚約者の不実な行為にさらされることのないよう遺言書を修正した。
1616年4月23日にシェイクスピア死去、享年52歳。奇しくも誕生日と同じであった。
死因は腐りきったニシンから伝染した感染症とされるが詳細は不明。
4月25日にホーリー・トリニテイ教会に埋葬された。
墓碑にはこう刻まれている
Good friend, for Jesus' sake forbear,
To dig the dust enclosed here.
Blest be the man that spares these stones,
And cursed be he that moves my bones.
「良き友よ、主の名によりて、ここに眠る遺骨を掘り起こすなかれ。
この墓石を動かさざる者に祝福を、わが骨を動かす者に呪いあれ」
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